るみちゃんの未来の自分へ

名鉄三河線山線



散策日:2018(H30)年4月14日(土)
名鉄三河線廃止区間山線
         (愛知県豊田市)
【猿投駅〜西中金駅跡】8.6km
平成16年廃止
移動手段:自転車


梅坪駅東側の河川敷駐車場にデポ。
8時過ぎ出発。天気は曇り。猿投駅には8時半頃着。駅前には朝市が出ていた。野菜などを販売。へぇ〜。

猿投駅のすぐ北側に踏切があり、そこから駅が見える。分岐数は多い。線路は北に向かって伸びていた。

  A                         A

井上小学校西側の踏切跡はアスファルトで埋められており
一旦線路は分断。その北から再び線路が残っており、
痕跡をたどるのは容易。かろうじて八重桜が咲き残ってくれていた。


運動公園東交差点南の踏切跡は完全に消失。アスファルトも継ぎ目がない状態だった。


そこから東側見ると駅跡が見える。
線路脇には桜の木が植えられており、満開だったらきっと綺麗なんだろう。駅は三河御船駅跡。駅のホームに大きな桜の木がせり出している

駅前はふれあい公園と看板があり、小さめの広場になっている。
御船駅からは線路は東に伸びる。
特に取り外される事もなく、さびたまま。

キロポストも見られたが、中に入れない区間だったので、コンデジの望遠を使い撮影。
29km?28?草伸び始めて読み取れず。

線路沿いに道がある訳じゃないので、ジグザグに走行。
時折見通しのいい区間が現れたりする。操作盤(?)もそのまま。




FからGの区間は少し線路から離れる。

下の写真はGからだが、道はここで行き止まり。古墳があった。

古墳の中は空洞になっており、真っ暗だった。

1人だったし結構怖かったので、少しだけちらっと覗き込んで詳しくは見ず。

   ↑G                       ↑G
   ↓G                       ↓A


Gで線路を見た後、どうにかして前に進もうと道を探したが、
見つからず、仕方なく、Fまで戻り、細い道を進んでHの位置まで。


←H

Hは高速道路下に位置しており、橋脚の向こうに鉄橋が見えた。

一応近くまでは行けるが、橋脚が太すぎてイマイチ景色が良くない。

そこから工場の北側の細い道を遠り、小さな脇道へ。
  ↓I                       ↓I

Iは地図上ではつながった道でV字に戻れる表記だが、
実際には地道なのでロードバイクでは厳しく、来た道を戻った。
Iの地点は踏切があったようだが、現在はなく、
また線路も取り除かれていた。

  ↓J                       ↓K


Jは「開拓道路橋」という名称の橋からの撮影。
土曜日で生コンのダンプやら農作業車が多く通り、
撮影時には立ち止まらないよう注意を受けた。
見に来られる方は、前後、車が来ていないか確認してください。m(_ _)m

JからKへは線路沿いの道がなく、一度北側の県道に戻り、
県道から廃線の匂いのする方へ進む。


Kには集会所があり、その奥に、古い取水口の説明看板があった。
その左奥に線路が見え、進んでみると線路の間に砂利が敷き詰められ、歩けるようになっていた。

まだ朝だったので、地元の方が散歩で通られていた。
ロードではパンクリスクがありそうだったので一度県道に戻る事に。シクロ車なら問題なく走れそうな路面。






     ↑↓枝下駅跡。


    ↑森の小人の腰掛け

枝下(しだれ)駅跡前は車を停められるようになっており、
線路跡には遊具が一つ置かれていた。
大人の力で押して遊べるようになっている。

愛知県は廃線跡活用を検討してくれている県で
駅舎跡にもその事が掲示されていた。
時間はかかるかもしれないけど、自転車道などに転用してほしい。

近くにしだれ桜があるようだが、時期が違うので訪問せず。


  L
  L

Lから先は矢作川を越える鉄橋があるのだが、
当然立ち入り禁止。一旦戻って橋を渡り、対岸へ。
Lの所に25km地点のキロポストが見られた。


  M
  M

三線軌条になっているが、これは脱線防止のため??
脱線防止用ってもっと主レールに近いんじゃないの?
真ん中のレールの使用用途が分からなかった。
誰かご存じないですか?

     ←↑三河広瀬駅跡
      ↑四角いのは給水塔跡?


三河広瀬駅はホームの北側に線路が残っているのだが、
南側には線路が敷かれていたであろう痕跡が見られる。
直近まで使われていたホームとは別に、石組みのホームが
南側に残っており、時代を感じさせる。

貨物の扱いがあったそうだが、この古い線跡がそうなのかは不明。
家族連れが撮影会をしていた。
子るみも同じ年代なので、自分も連れて来たかったな〜。


駅のホームの東側端っこには石の路面が残されており、そこだけ線路が残っていた。かなり古そうな印象。

こういうのはすごく萌え〜♪

駅舎は少し綺麗に改装されて、地元の人が集まれる施設になっていた。

この日も年配の人たちが集まってにぎやかな声が聞こえていた。駅舎は文化財になっているよう。



                            ↓N

三河広瀬駅舎前はバス停になっており、やや広くなっている。
東側には線路が伸びていて、木々の中に散歩道が続いていた。
ロードバイクでは行けそうにないので、一旦南側に並行して続く、
県道355号線で東へ進む。
    ↓O                      ↓O


東広瀬小学校の南西部に出てきたところ。
踏切があったんだろうけど、現在はアスファルトになっていた。
そこから線路は南にカーブしていき、山の中へ消えていく。
    ↓P                      ↓P


 ↑B 南側へ抜ける道でみた標識。
    何か、スゴイ絵・・・(^_^;)

 ←Pのちょい先



Qトンネルを抜けた先にある橋台跡。

数年前までは左右とも橋台は残っていたようだが、現在は南側しか残っていない。

道路拡幅の為かな?やっぱり廃線は生ものだと感じる瞬間。


←R

線路跡はさらに山を抜けていくので、こちらは一旦国道153号線に出て左折し、南東方向へ進む。

地図上で日影という地名のところで線路跡と合流。地面より高い位置に堤があった。

中金町平古交差点の北側に細い生活道があり、線路と平行して通れる。
白線上をまっすぐ走れる技術があるならロードでもギリギリ通過可能。
 ↓S                         ↓S


線路の脇を東へ進むと、西中金駅跡が見えてくる。
線路跡をたどるのはここまでとなる。
鉄塔と線路のカーブがいい感じ♪

↓ 西中金駅跡より西方向




西中金駅跡。
駅舎が文化財指定になっているので取り壊される事はなくなった。
また駅舎は曳家で少し動かしているようで、
元の位置からは動いているそうな。

以前は駅舎の東側に古い建物があったようだが、
現在は取り壊されて無くなっている。






駅の東には建物が取り壊された後の更地があり軽トラ市がひらかれていた。
また、駅舎も中は喫茶店?になっておりにぎやかな声が聞こえてきた。
人が多そうなので中には入らず。



コーヒー200円。ワッフル付300円。
五平餅200円/本。コーヒー飲めないから
分からないけど、多分安いよね?(^_^;)

線路跡はここで終点なのだが、元の計画では
香嵐渓まで線路を伸ばす予定だったようで、
線路用地跡が東に伸びている。
国道は車が多いので、用地跡を走るとかなり快適だった。

車を停めた所からここまで約20kmだった。

   ↑C               D→

駅跡の東側から200〜300m?は歩道になっていたが、その後、国道から離れて道は国道と平行に続く。

結構真剣に線路を作る予定だったようで、道路は幅も斜度もカーブも線路そのもの。
車は国道を走るので、のんびり走るにはもってこいのコース。


  ↓E                           ↓E

Eの地点の少し手前から「この先行き止まり」の看板が何度か出るが、
そのまま進むと、自転車なら国道に出られる。(車は不可)

国道を鉄橋で渡す予定だったのか、橋台が見られる。
高さはそんなに高そうではなかった。

  ↓F(北西方向)                  ↓F(南東方向)


Fの地点へは、一度東に進み、国道から南側の道へ入り、
再び西に進む必要がある。

まあ、F地点は↑の写真の通り行き止まりなので、
行ってどうという事はないのだが、無駄にだだっ広い
アスファルト舗装の行き止まりだった。
知らずに行くと、ちょっと不思議な空間。



     ↓G                     ↓G

用地跡の峠付近にしゃくやく姫の塚というのがあった。
戦火を逃れ、最後に井戸に身を投げたお姫さんの塚らしい。
こういうのって各地に点在するけど、地元の人の手で
大事に祀られている事が多いんだよね〜。不思議。

       ↓Fより少し東                  ↓H
 
   ↓I

ピークを過ぎると、東に向かってひたすらゆるい下り。
ガードレールもないので、いい景色。鉄道の斜度なので、
さほどきつくはないが、戻る時はそれなりにだらだら登るので微妙にしんどい。

    ↓Jより東方向                   ?マークのあたり
    ↓Jより西方向

気持ちよく下っていると突然道が途切れ、土手になっていた。
南からの農道(地道)とクロスしていたが、
この先が用地買収できなかったあたりなのだろうか。

道は国道に接続されており、少しずれて国道の北側にも細い道が伸びていたが、
道の雰囲気的には鉄道用地とはちょっと違うか・・・?


そのまま細い道を進み、追分交差点から足助へ。

足助新橋北の西側に国道とは違う生活道が地図には記載されているが、今回はそこへは行かず。また次回かな。

足助の町並みを観光して、麩まんじゅうを食べてデポ地へ。

帰路は国道を使い猿投駅まで。

猿投駅から越戸駅まで線路沿いを走ったが、高架化になっており、風情ゼロ・・・orz。

線路が残っている間は跡をたどるのは容易だが、橋台が片方無くなっていたように、徐々に痕跡が無くなっていくのが廃線が生ものである証拠。

見られる時に見ておかなきゃね。

       お し ま い