るみちゃんの未来の自分へ

名古屋鉄道揖斐線(1)


散策日:2019(R1)年7月6日(土)
名古屋鉄道 揖斐線【忠節〜本揖斐】(2005(H17)年4月1日廃止)
距離:12.7km
位置:岐阜県岐阜市〜岐阜県揖斐川町
移動手段:自転車




岐阜市役所の駐車場にデポ。

自転車で散策開始。市役所の駐車場は17時半に閉まるのでそれまでに戻ってくる必要がある。

岐阜駅から忠節駅跡までは路面電車が走っていたようだが、痕跡は皆無なので、あえてたどらず。アスファルトの境目は見えるが特に風情があるもんでもないので・・・。

@岐阜市役所の北西にある忠節橋。かなり立派。ここも路面電車が走っていた場所
上の地図をトリミング。
1990年発行。
昭文社 ニューエスト愛知県



A長良川を渡り、忠節橋北交差点をまっすぐ進み、早田大通1交差点を左折。
この交差点が線路のカーブ跡となっている。

忠節駅跡。画面右外の店は当時もあったよう
B忠節駅西側より駅方向。線路跡は見えないがアスファルトにヒビが見える。

B忠節駅西側より西方向。線路跡は宅地になっている。
Cひたすら宅地になっている。痕跡は皆無。

この宅地になっている区間で近ノ島駅跡があったはずなのだが、
今回は見つけられず。きれいさっぱり線路跡が無くなっているので
もしかしたら見つけられないのかも。


D県道77号とクロスする地点。西方向

D同じ地点より東方向


E小さい水路に残る石組みの橋台。いい感じ。パッと見、駅前のように感じるが違うらしい。
地元のおじいさんに話を聞いて見つけた萱場駅跡。鉄道が現役時代にすでに廃駅になっていたよう。ホーム跡が残る。

旦島駅跡。この先はほぼ綺麗にホームが残る。ホーム跡の利用は地元の人が花を飾ったり、放置していたり・・・。さまざま。

F旦島駅から西に進むと、川越えの為、路盤が高くなっている。
G川の西側。こちらは削り取られている。

尻毛駅跡。このすぐ近くに下尻毛西交差点があるが、国道157号線と県道173号線が交わる。この交差点がなかなか信号が変わらず、渡るのにかなり時間を要した。駅のホームへは進入禁止となっているので、外から見るのみ。
駅舎跡と思われる土地もあったが、駐車場になっていた。


←H  ↑I
尻毛駅から又丸駅の間も住宅街が続き、線路沿いに道があるのは尻毛駅から数百メートルだけ。あとは住宅街をジグザグに走って線路を探しつつ走行。
途中で、2車線の道路とクロスしたが、舗装が綺麗になっており、痕跡は皆無。
またキロポストも500mごとにあるが、数字は読めない。


又丸駅跡
バラストも残っており、駅のホームもしっかり残っている。

ホームの土台は石組みで茶色く染まっており、いい味が出ている。取り壊すのはもったいない気がするが、この先どうするんだろ。

J又丸駅跡の近くにキロポストが残る。ただ、どのキロポストもペンキが落ちて数字は読み取る事ができない。残念。

K国道157号とクロスする地点。自転車は線路沿いに入るところがある。
K同じ地点から東向き。写真左側に墓場が見える。さすがにこの土地の形は今後も変わらないだろう。


北方東口駅跡
あまりホームに雑草が伸びておらず、綺麗に見える。ここも住宅街の中にある。




L北方東口駅と北方千歳駅、美濃北方駅の駅間はかなり短かったようで、それぞれ5〜600mほどの駅間になっている。

まあまっすぐ行けばその距離だが、ジグザグに進むのでもう少し距離は伸びる。

写真の左奥にうっすら見える凸型の建物が北方千歳町駅あたり。

北方千歳町駅跡
この駅の100mくらい手前から線路沿いに道が出てきて、並走することができる。
ホームの西側は駅前通りだった雰囲気が残るが、今は物寂しい印象。

M市道?をクロスして線路は一部遊歩道になっている。
歴史上の人物で「安東伊賀守守就 戦死の地」の案内。
スイマセン。歴史苦手で誰か知りません。
そのまま遊歩道を進むと石碑があり、説明があったが、16世紀くらいの話?
石碑の近くには水路があり、石組みの橋台が見られた。



美濃北方駅跡
美濃北方駅は地下道を使って反対側に渡れるようになっている。
地下道は駅施設ではないようで、今も使う事ができる。
駅前は車が停められるようになっていたようで、
複数台停められるスペースがあった。今は柵が設けられていたが・・・。


美濃北方駅を出ると、樽見鉄道とクロスする。

それから、美濃北方駅までは住宅街だったが、樽見鉄道とクロスした後は、いっきに郊外の雰囲気になり、田畑の間を線路跡が伸びる。

N美濃北方駅の西側に流れる川は高度を上げて鉄橋で渡っていたよう。
コンクリートの橋台がそのまま残る。

O川を越えるのに高度を上げた線路はそのまま樽見鉄道を越える為、
そのまま高度を上げた状態で西へ。樽見鉄道は地面と同じ高さ。


P線路を越えた後は徐々に高度を下げていく。

Q上の写真を少し離れた位置から撮影

R田畑と住宅地の境目を線路が伸びる


真桑駅跡

今はバス停になっており、駐輪場もそのまま活用されているよう。

撮影中に地域のコミュニティバスが停まり、老夫婦を乗せて出発した。

線路跡にゴミが散乱しているのは残念で仕方ない。

真桑駅を道路から撮影
S真桑駅から政田駅まではなぜか線路が道路より少し高い位置に敷かれている。洪水対策かな?理由は不明。

線路沿いに道はあるが、2か所ほど行き止まりになり、Uターンした。
線路から少し離れるが道路(県道159)は並走しているので、
県道を走れば問題ない。


21)西向き。雑草が伸びている。バラストが薄いのかな?何となく能登鉄道の廃線跡に似ている気がする。蛸島付近みたい?
21)東向き。緩く北方向にカーブしていく。


政田駅跡
県道を進むと「真正郵便局」が出てくる。その向かいが政田駅跡となる。
駅のホームは見えるが、柵があり、ホームまでは行けない。
自転車置き場とか無かったのかな?
道からホームまでの間はかなり広い敷地になっている。


22)画面左側が駅、右側が郵便局。道は十字路になるが、今回はまっすぐ進んだ。
近くに小学校があるのか、ちびっこが集団下校していた。


23)遊具のある公園の横を線路跡が通る。
どうせなら公園とひっつけて、鉄道公園にでもすればいいのに・・・。

24)公園の西側には根尾川が流れており、線路は河川敷の高さまで高度を上げていく。
25)河川敷から政田駅方向。
山が無いので見晴らしがいい。
河川敷東岸は交通量が多め。



25)対岸は竹藪の切れ目が線路跡。分かりづらい
26)河川敷西岸から北向き。草むらに石組みの基礎が見えたが、写真にはあまり写っていない。

上の写真の位置から5歩前に進むと下方駅跡が見えた。
地面からかなり離れた高い位置の駅のよう。


下方駅跡
駅に行くには土手を上ってホームに行く必要があったみたい。
写真を撮った時はここが駅なのか確信が持てず、
後で地元の人に聞いて下方駅跡だと判明した。写真撮っておいて正解。
これまでの駅と違い、コンクリート製の駅で、見た目の時代は新しい印象。
できた年代が違うのかな??

27)河川敷の高さから徐々に高度を落とし、北に向かう。
住宅もあるが、風景は果樹園?のような木々が並ぶ。
河川敷から降りてくるカーブが廃線萌え♪


28)しばらく線路沿いに道が続く。
農作業をする軽トラが時折通るくらいで交通量は少な目。路面もさほど悪くない。

何の木が植えられているか、確認し忘れた。

相羽駅跡
駅の向かいに神社?のような小さい社が見えた。
駅のホームには相変わらず入れないが、ここのホームからの景色は
何となくいい雰囲気が感じられた。


この先北向きから北西にカーブしていく。

雑草は刈り取られているのか、バラストのせいで生えてこないのか分からないが、あまり荒れていない印象。



29)相羽駅から北に進むと、道路工事中だった。廃線に斜めにクロスする感じで工事が進められていた。

完成したらここは完全に痕跡が消えそうな個所。
う〜ん、廃線は生ものだ。

30)線路跡は北向きから北西方向にカーブしていく。
 黒野駅はすぐ近く。

黒野駅跡。レールパークとなっている。

駅のホームは綺麗に保存されていて、レールもそのまま。
ちびっこが乗って楽しめる小さい手作り?の車両もあった。


公園施設には改札口や運賃表、時刻表なども残されている。

ちびっこが遊べるようにプラレールも設置されている。
自分の列車を持ってきて遊べるようだ。これは楽しそう♪


公園は谷汲線との分岐になっており、かなり広い公園となっている。
芝生も整備されているので、ちびっこが駆け回っても大丈夫そう。


黒野駅から谷汲線と揖斐線に分岐する。谷汲線レポはこちら

黒野駅の西側に小さい水路があり、そこに架かる橋は残されていた。
線路は一直線に西に延びる。

鉄橋の横に歩道があるが、ここは渡れない
31)一直線に西に延びる線路跡。周りの景色は一気に閑散としだす。


持って走った地図には記載がなく、スルーしてしまったが、この写真の付近に麻生駅という駅があったらしい。

列車が走っていた時代に廃駅になったよう。痕跡は皆無で全然気づかなかった。
帰って調べて写真を整理して分かった場所。


32)時期はもう終わっていたが、蛍が飛ぶ地域らしい。
線路と道の間に小さな水路が流れていたが、水は確かに綺麗だった。
草もいい感じに残っており、確かに蛍がいてもおかしくない状況。

機会があればホタル撮りに来たいな。

中ノ元駅跡
何かの建物と密接しているホーム。
この茶色の建物の向こうに細長い敷地の神社があった。

相変わらずホームには立ち入り禁止の柵がしてあるが、ぼろぼろになりすぎて役目を果たしていない気がする・・・。

黒野駅から本揖斐駅は揖斐線の中でも先に廃線になった区間。黒野駅から忠節駅までは後から廃線になったので、廃線の鮮度が若干違う。

33)線路跡と道の間に水路が流れているが水量が多い。景色正面と左側に大きめの山が見えるが、そこから流れてきているのかな?水は綺麗。

34)水路には分水をするための構造が何か所か見られた。
上流部に行くと水路は広いが下流方向に行くと水路が狭いのはこういう理由ね。
線路は水路のすぐ横。

清水駅の少し手前で線路沿いから道が無くなり、迂回。

清水駅跡
ここは確信が持てない駅跡だった。
ホームも何も残っておらず、完全に更地になっていた。
たぶん駅跡なんだろうという想像だけで撮影したが、確証は持てず。
当時の写真とか地元の人でもいれば確定できたのだが、人がいなかった。

35)清水駅跡から西方向。学校が近くにあるよう
35)近くにあった地図。現在地もないし、駅も書いていないので地図として機能しないデザイン。


36)本揖斐に向かって線路跡が伸びる。正面の山の名前は分からなかったが、冠山?三周ヶ岳?
37)県道263とクロス。線路跡が道幅の広い道路になるよう。工事はすすんでいるのかな?この周辺は痕跡が消えると思う。

38)国道303号沿いに線路が続く

39)廃線臭のする道が国道からそれていく

40)本揖斐駅跡と勘違いして撮りまくった場所。道が開けて空き地が広がっていりゃ、終点と思いますやん。
40)実はその道をまだもう少しまっすぐ進んだところが本揖斐駅跡だったよう。写真の右奥に小屋が見えるのがバス停。

本揖斐駅跡
現在はバス停になっており、ロータリー状になっている。
線路跡は道路になっており、バス停は国道と線路跡の道路に挟まれるような位置になる。バス停は本揖斐となっているが、鉄道の痕跡や碑は皆無。

廃線になったのが14年前という事で、一部宅地化されていたり、
更地になっていたりしたが、線路跡をたどるのは容易だった。
序盤は住宅地を縫うように走るので、ツーリングには不向き。

後半は郊外に出るので、線路跡を横に見つつツーリングを楽しむ事ができるが
景色が特段いい訳じゃないので、廃線に興味が無ければ退屈かも・・・。

坂はなく、すべて平坦なのでママチャリでも走れそう。
また、コンビニも時々出てくるので、補給も問題なし。
ゴール地点の本揖斐駅跡はバス停となっているが、
公衆トイレあり。その他は無し。目的地としては、ちょっとさびしいかな。

岐阜市役所からここまで29km。
まっすぐ来れば20kmほど?

谷汲線みたいに、終点に何かあればな〜(^_^;)

 お し ま い


この後県道251号を通り、谷汲線を見に移動した。

【 名鉄谷汲線へ 】