また今回知ったのは、新関駅から美濃町駅までは先に廃線になっていて、新関駅から岐阜の方は最後まで残っていた線だったという事。 廃線の鮮度が少し違うらしい。 |
北一色駅跡は痕跡は何もないが、交差点名が「北一色」と書いているので、場所の特定はできる。走っていた当時は知らないが、どうやら道路の中央を線路が走っていたらしい。 | |||
@古い写真を見ると、中央の白線あたりを走っていたようだが、アスファルトの境目くらいしか痕跡が残っていない。 線路が無くなった今は道幅が広くなり、車では走りやすそう。 |
A線路が道路から離れていく。キロポストが残るが、数字は読み取れない。2010年と同じ位置から撮影。右の写真は同じ位置から南西方向。 ※マウスのポインタを置くと、2010年の写真になります。 | |||
B少し道路を進み、左折して線路跡へ。線路沿いに生活道が伸びる。 | |||
野一色駅は古いホームと新しいホームの2カ所存在する。古いホーム跡は崩壊が始まっており、板が腐って落ちていた。新しい方の駅はここから北に100mほど進んだところにある。 | |||
こちらが新しい方のホーム跡。駅が移動したらしい。 2010年の時はまだ屋根が残っていたが、撤去済みとなっている。 道路の雰囲気から、ここは生活道路に飲み込まれる予感がする。 | |||
C野一色駅から先に進むと踏切跡が出てくる。左は東方向。右は西方向 | |||
C踏切に残る住宅地図。線路も残る | | D神社の参道とクロスする地点。線路跡に石灯籠が建てられている。 |
E再び県道92号と並走する。9年前と変わりなし | | E同じ位置から西向き。レールが撤去されている |
F雑草が伸びていてバラストが見えづらいが、カーブはそのままの形で残る。 琴塚駅が見えてきた。 |
琴塚駅のホーム。9年前は屋根やミラーが残っていたが、撤去されている。 ホームには上がれないようにバリケードがされている。 | |||
レンガがちらっと見える。梅雨も後半になり、緑が増えすぎて、痕跡が見えづらい。 来るタイミングを間違えた・・・。 | |||
G琴塚駅を出ると東向きから北向きに変わる | | H9年前は工事中だった歩道も完成している |
I痕跡は皆無になる。 おそらく歩道のあたりが線路跡と思うが、それを確信に変えてくれるものは何もない。 |
日野橋駅は9年前来た時にはすでに痕跡が無かった駅。 現在の目印としては陸橋がかかっている所が目印となる。 | |||
日野橋は、そのまま残るが新たに金属の欄干(?)が設けられていた。 う〜ん、風情なし・・・。左は北向き、右は南向き。凹んでいる所が日野橋バス停。 | |||
J青い標識があるあたりが、日野南6交差点。今回は交通量が多く、交差点では写真を撮っていない | | K交差点を過ぎて岩田坂が始まる。9年前は余裕だった坂も、今はきつい斜度。 |
L坂の途中。 斜度は29.4パーミル。9年前は坂とも思わなかった区間が、やたらきつい。この先に岩田坂駅がある。 9年前に来た時に、この区間は消えてなくなるだろうと予想していたが、消えずに残っている。ちょっと意外。 |
バス停がある所が駅跡。ホームは雑草に埋もれてしまっている。 往路でここを見落としてしまい、復路で止まって撮影した。 交通量が多く、なかなか止まる事ができない。目印は郵便局。 | |||
位置関係はこんな感じ。郵便局の向かいが駅跡 | | 郵便局の隣に残る住宅地図。駅がまだ残っている |
M北方向。踏切跡の看板が残る | | M14年前の看板がまだ消えずに残っている。意外に耐久性あるの? |
N坂を下ってきたところ。岩田坂方向 | | N同じ位置より岩田駅方向。線路は撤去されている |
Oサイクリング的にはNの左の細い道で走ればいいのだが、廃線散策なので、交通量の多い右の国道を選択。 しばらくこんな感じ。道路は国道156号線。 |
岩田駅は現在もホームが残る。バス停になっているのですぐに分かる。 ただ、ここも夏前で雑草が伸び放題。バラストがあった所には雑草が生えないようにシートを敷いている。MTBなら乗って行けるかも。 | |||
P岩田駅からちょっとだけ緑のシートが敷かれているがすぐに道路に吸収されてしまう | | Qここの交差点は変化なし。角にコンビニがあるのは9年前と同じ。 |
Rバラストがあった所には、雑草除けのグリーンのシートが敷かれている。日中はいいけど、夜になったら自転車で走るの怖そうだよね・・・。 交通量は結構あり、直線が続くのでスピードも速い。自転車で走るには割と気を使う区間。 |
S国道から線路が離れていく。古い街並みに入るので、交通量が減り気が少し楽になる。この辺りは9年前と変わりない。 | |||
下芥見駅は駅前が結構広かったようで、現在は雑草王国になっているが、かなり広かった事が分かる。 | |||
石畳や線路は撤去されていて、アスファルト舗装になっている。それ以外は当時のまま。ベンチも残るので、ちょっと手を加えれば、いい公園になりそうな気もするが・・・。 | |||
21)下芥見駅から芥見小学校の途中の踏切跡。用水路が流れているが、地図で調べてみると各務用水という名前で記載されている。長良川から取水しているのか、長良川に注ぎ込んでいるのかちょっと分からないが、この水路は上芥見駅の方まで伸びていた。 | |||
22)芥見小学校の北側。斜度表示が残る | | 22)同じ位置から南向き |
23)農地に沿ってカーブしていく。ちょっとじぐざぐになるが、自転車でたどれる | | 24)川にあたる地点下芥見方向 |
25)川を渡って、廃線跡に復帰。9年前にも勘違いしたが、どう見ても廃線が2本あるように見えて仕方ない。この時は全然理解できなかったが、5分後先に進んだところで、思い出した。 | |||
26)太陽光パネルがずらっと並んでいるので、どうみても廃線跡に見えたのだが、先に進んだところで踏切があり、坂を上がってみると、水路に当たった。 高架化になった線路跡と思っていたのは水路だったのだ。嗚呼勘違い。 |
上芥見駅は路面電車のようなホームだった。ここは記憶に残っている。ホーム跡は確認できず、雑草もかなり生い茂っていたので、痕跡は確認できなかった。 地面に埋まっていた線路はやはり撤去済みとなっており、ここから先はしばらく痕跡が無くなっている。 | |||
ちょうどこのあたりにホームがあったハズなんだが・・・。 草が伸びすぎて分からず。雰囲気としては、ホーム跡も撤去済みのような気がする。 | |||
27)9年前も線路は残っていなかったが、アスファルトの境目は見えていた。今回は全然分からず | | 28)線路跡はアスファルト舗装の下にもぐっている。上芥見駅からこの効果まで草地が線上に続くが、ここは線路跡ではなく電柱跡 |
28)高架横を通る。草伸びすぎ・・・ | | 29)ここの景色はほとんど変わっていない |
30)津保川を渡る。橋がないので、少しだけ東に進みぐるっと回って対岸へ | | 31)下水処理場の先の行き止まり。 |
31)同じ位置より北向きに撮影。以前は電柱が残っていたよう | | 32)下水処理場の北側 |
33)斜度表示はそのまま残る。線路跡は農家の人が有効活用していた…。 | | 34)白金駅手前の踏切跡。線路がまだ残るのだが、この三角の構造物はなんだろう??対角線上にも残る。 |
白金駅は民家とセットになっている駅。ホームは石板が敷かれていて味がある。 | |||
駅横の踏切跡は道は細いが、時々車が通る。ここの景色は9年前と変化なし。 | |||
35)廃線跡は白金駅から200mほど進んだところで県道287号と合流する。 合流後は歩道に飲み込まれて舗装されている。 | |||
36)そのまま進むとT字路で国道156号と交わる。廃線跡は国道沿いに伸びる | | 37)何故かバラストが残る所もある。不思議な空白地帯 |
明らかに駅があったであろう場所。国道と一般道に挟まれて、妙に広い敷地が残る。近くに小屋名バス停もあり、多分この変だと思う。前回来た時はスルーしてしまっているので、現在の風景とは違っていたと思う。右の写真はピンボケ・・・。 | |||
38)小屋名交差点を東に進むとカイインダストリーが出てくる。刃物の町の有名なメーカー。医療関係などの商品も作っている。写真右は小屋名交差点方向。微妙に線路のカーブが分かる・・・かな? | |||
39)小屋名交差点から先は、廃線跡は綺麗さっぱりなくなり、代わりに青く塗られた自転車道が関駅の方に向かって伸びる。舗装も綺麗なので割と最近工事が完成したような雰囲気だった。 ただ、この自転車道、交差点のたびに高い段差を越えるので、衝撃が大きく、またまっすぐ走れないので使いづらい。設計した人は多分自転車に乗らない人なんだろう。 |
ここも前回はスルーしている。今回もバス停が無ければ、止まっていないと思う。 地図上では細めの水路のすぐ西側に位置するよう。このバス停も近くに水路があった。 | |||
ここは赤土坂駅よりもっと分かりづらかった。バス停も微妙に外れているし、痕跡が無いし・・・。しいて言うなら、床屋さんの向かいが駅跡だったよう。過去の写真と見比べても多分位置は合っている。 | |||
40)「交差点:栄町3」。過去の写真とは撮影ポイントが微妙にずれているが、大体近い位置。いろんな建物が建っていたり、道が綺麗になっていたりでかなり分かりづらい。 | |||
41)左の写真、水色の軽自動車が停まっている位置が廃線跡。右の写真、ブロック塀の奥に向かうラインが、廃線の方向。完全に駐車場になっている。 | |||
42)右の駐車場の並びが線路跡。家が建っていたり、駐車場になっていたりする。 線路沿いだった道はそのまま生活道として残るので、自転車でこの位置に来るのは容易。 車で来ると、ちょっと迂回しないと来れない。 |
駅舎はすべて無くなっており、左の写真の家が建っているあたりが駅舎跡。昔は駅前にタクシー乗り場があったので、現在、線路跡に建つタクシーの運転手に話を聞くと、やはり駅だった所は住宅が建っているあたりなんだとか。すでに住まれているので、敷地を調べる訳にもいかない。(そこまでしてどーする(^_^;)) | |||
3軒くらい並んでいるあたりが新関駅、ホームだったあたり。右の写真の一番右端に写るこげ茶色の屋根のあたりが、駅の正面だったあたりらしい。住宅になっていたので今回はそちらへは行かなかった。 妙に空き地が広いが、ここはホームからはすでに離れている位置なので、ぱっと見た目、勘違いしやすくなっている。 | |||
43)新関駅方向。過去写真とは向きが違うが、過去写真ではホームの奥に川らしき柵が見えている。その柵がこの川。 | | 43)ここの橋台は撤去されない様子。まあ頑丈だろうしね。そのまま関駅に線路跡が伸びる |
44)線路は東向きから北向きに方角を変えていく。 | | 45)県道281号とクロスする地点。アスファルトも敷き直されている |
関駅と線路が繋がっていたかは知らないが、9年前に訪れた時、列車が停まっていた位置には自転車置き場ができていて、線路は短くなっていた。右の写真は南向きだが、このスペースは変わっていない。 | |||
列車が停まっていた位置。線路は見えない。この奥に関駅の自転車置き場ができている。ホームへはそのまま入れるが、先を急ぐのでホームには立たず。 | |||
関駅を出て、そのまま県道281号を北上。 線路跡は全て歩道になったか、車道になったかで、跡を探す事はできない。関駅から美濃駅までは、前線廃線になる以前に廃線になっているので、痕跡は消えやすくなっている。 |
46)おそらくこの辺りを走っていただろうと思われる。左は北向き、右は南向き。 ツーリングの風景としてはちょっと見どころのない区間。 | |||
ここははっきりとは分からず。道路の脇に妙な空き地が続くので、おそらくこの辺だと思うが・・・。駅の痕跡はそれ以外は見つけられず。写真左は北向き、右は南向き | |||
ただ、左上の写真の続きは、左の写真のようになっており、そのまま線路が続いていたとなると、社が行く手をふさいでいる形になる。 どのあたりを線路が通っていたか、分かりづらい場所だ。 |
47)しばらくそのまま進むと、水路を渡る小さい橋が出てくる。その橋から線路が分岐する。ちょっと分かりづらいが、橋で一旦止まると、橋台が見える。写真左は北向き。右は南向き。 | |||
48)下有知中学校の少し手前で県道281から離れていく。 この先は廃線跡の有効活用として自転車道として残るので、消える事はない。 |
ここは完全にスルーしてしまい、かなり奥まで進んでから戻ってきて確認した。 9年前はホーム跡が残っていたのだが、今回はホームがなく、更地になっていた。また、倉庫だった所に家が建ち、少しだけ風景が変わっていた。 写真左は2019年、右は2010年撮影。 | |||
49)自転車道になっているのは短い区間で、自転車道の終点も変わらず | | 50)水路にかかる橋桁は撤去されていて、雑草も伸びているので痕跡が分かりづらい。橋台は残るので、手掛かりはそれくらい |
51)線路跡は、県道から東にそれていくので、市道に入り、線路とクロスする地点を探す。ここも雑草が伸びていて、分かりづらい。 | |||
52)51から線路沿いに走れないので少し迂回して細い道へ。 | | 53)ここは線路跡が遊歩道として残る |
松森駅は住宅街の中にあり、枕木やホームはそのまま保存されている。 クリートで歩くにはちょっと歩きづらいが、運動靴なら問題ない。 | |||
54)松森駅を抜けると県道343号にあたり、保育園が見えてくる。近くには長良川鉄道が走る | | 55)東海北陸自動車の下をくぐる。廃線跡が自転車道になっているのはいいが、花壇やら水路やらでかなりジグザグに走らないといけない。自転車道というより散歩道と言った方がいい。 |
56)この先は未舗装だったが、今は舗装されていて、車が通れるようになっている | | 57)広い道に出ると、線路跡は無くなり、どこを走っていたか分からなくなる |
58)坂を下ると目の前に美濃駅跡が見えてくる。静態保存された車両が目印。 線路跡は歩道のあたりかと思ったが、この並木の右側あたりを線路が通っていたようだ。 |
駅舎は木製だが、大事に保存されているようで、9年前と変わりなく建っていた。 内部は「どうしたん?」というくらい野口五郎さんのポスターや写真がたくさん飾られており、雰囲気は結構変わっていた。どうやら野口五郎さんの生まれた地らしい。 | |||
以前は車両内にはグッズ販売などがあり、ポスターも当時のまま残っていたが、現在はすべて撤去され、すっからかんになっていた。 | |||